御門暁の妖怪考@
妖怪は本当にいるのか?

この「御門暁の妖怪考」では、毎回妖怪に関して、僕、御門暁の考えを書いて行きたいと思う。
まず、第一回の今回は、根本である「妖怪は本当にいるのか?」をテーマに選んだ。
断っておくが、これから述べる事はあくまで僕の考えであり、他の妖怪研究家さんや妖怪ファ
ンの皆さんの考えとは全く関係が無いので、その点をご了承願いたい。


まず結論から言おう。
妖怪は、いる。
そして、その居場所は、まさに「人の心」である。
例えば、夜、暗闇を歩いている時に、その暗闇の奥に何かが見えたとする。
それが何か不気味な形に見えたり、妖怪に見えたら、それは妖怪なのである。
もし別の人が同じモノを見て、それを「木だ」と言っても、それを妖怪だと見た人にとっては
それは妖怪なのである。
こう書くと、屁理屈だとか言われそうだが、よく考えて見て欲しい。
僕らが日々生活する中で見ているモノが、全ての人に全く同じように見えているという保証が
あるだろうか?
あなたは、あなたの友人や、親兄弟が見ている世界を見たことがあるだろうか?

僕は、先天性白内障という病気で、生まれつき右目が見えない。
生まれてこのかた20年、ずっと左目だけで生きてきた。
こういう状況だからか、昔、こう考えた事がある。
「両目でモノを見ている人と、片目だけでモノを見ている僕の、モノを見た時の形や色は本当
に全く同じなんだろうか…?」と。
つまり、例えると僕が「青」だと感じている色は、他の人から見たら「赤」に見えているかも
しれない…という事である。
人は、決して他人にはなり得ないから、他人が見ているモノと自分が見ているモノが全く一緒
だという証明は決してできないのである。
ややこしい言い方だが、わかってもらえるだろうか?

例えの話が長くなったが、ようするにそういう事である。
人が「木だ」と言っても、別の人がそれが「木に見えない」と言えば、それはもしかしたら
「木ではない」かもしれないのだ。
あなたが見ている木は、どんな人が見ても絶対に木であるという保証はどこにも無いのである。
なぜなら、その「木」という映像を構築しているのは、あなたの脳であるからだ。
そして、脳は要するに「心」である。

だから、ある人が「あれは妖怪だ」と言えば、それがあなたには妖怪に見えなくても、もしか
したら本当に妖怪なのかもしれないのだ。

これで納得いかない…というあなたには、こういう考え方はどうだろう。
人は、自分が信じられないモノには無意識のうちにフタをして、無かったことにしようとする
傾向があるらしい。それは、見たモノであったり、聞いた音であったり、様々だとは思うが。
そう考えた時、妖怪が見える…あるいは、妖怪はいる…と言っている人には、妖怪が見える、
そして、妖怪なんかいない…と信じている人には、たとえ妖怪が目の前にいようとも、それを
脳(心)の中で処理をして、見えない事(無かったこと)にしているとは考えられないだろう
か…?
ちなみに、この事は妖怪小説で有名な京極夏彦先生の「姑獲鳥の夏」でも取り上げられている。
もし、もっと詳しく知りたいという人は、そちらを読んでくれた方がわかりやすいかもしれな
い…(^^;

「信じる者は救われる」という言葉があるが、妖怪で言うと「信じる者には見える」と言った
ところだろうか(笑)
ちなみに、僕はもちろん妖怪を信じているので、時々僕のまわりには妖怪が現れる。例えばそ
れは、勝手に閉まるドアであるとか、勝手になくなる眼鏡であったりするのだ。
妖怪を信じない人からは、「それは風がドアを閉めたんだ」とか「眼鏡を置いた場所を忘れた
だけだ」と言われるかもしれないが、僕にとっては、それは僕のまわりにいる悪戯好きな妖怪
の仕業なのである。


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